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歴史探索−西国街道
2008-08-10 Sun 22:22
京都の向日市でミーティングがあったため、少し空いた時間に、西国街道を歩きました。
京の都から摂津西宮(現在の大阪と兵庫)につながる道が西国街道ですが、現代のように交通機関が発達していないころ、船で川を渡っていたんですよね。

この西国への道を阻んだのが、小畑川でした。当時(江戸時代)は氾濫して、周辺住民を困らせたようです。そのため、住民からの寄付によって橋を作ったのが「一文橋」です。西国街道につながるその一文橋も渡ってみました^^


住民から一文(いちもん)ずつ集めてそのお金で掛けたころから一文橋と呼ばれています。そのため、当時の硬貨をモチーフにした彫刻が橋の両端に置いてありました。

−橋の由来を書いた石碑

−京から西国への地図
(逆光でした^^;)


ここが西国街道への入り口であることを表す石碑です。周辺の町並みはすっかり現代的になり、舗装され、車両が行きかっています。


−向日市(京都)側から橋越しに見る大阪方面(現在は区画整理で橋を渡るとまだ京都府内の長岡京市)

一文橋の建造当時は木造だったとのことですが、平成5年に架け替えられ、今はその型だけを残しています。川を見ても、数百年前氾濫を起こして、住民を困らせたとは思えないほど、静かな小川でした^^
当時の人は、ここから西宮まで歩いたんですね。今は、私鉄各社が通り、数十分で行き来できますが、そんなことを考えると、便利になる反面、人間の身体はだんだん弱くなって、それに伴って精神力も脆弱になってしまったのかなぁ、と、橋を渡りながら、感慨に耽ってしまいました。「健全なる肉体には健全なる精神が宿る」ではありませんが、物質偏重も考えものですね^^



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歴史探索−大阪・北浜
2008-07-13 Sun 23:27
今日は、少し時間が空いたので、遠くまで歴史探訪に行こうと思ったら、酷暑に近い最高気温予想に少し尻込みして、気温が下がりはじめる夕方、北浜あたりをぶらつきました^^

ここも行ってみようと思いながら、なかなか行けなかったのですが、やっと機会を得ました^^
難波宮から7世紀もの間の大空白時代を経て、本願寺建立によって、大阪(当時は「大坂」と表記)に活気が戻ってきた豊臣時代。その時代の名残が感じられる「高麗橋」や「今橋」周辺、北浜を歴史めぐりしてきました。

豊臣が大坂冬の陣と夏の陣で徳川軍に破れ、政権を徳川家に奪われてから、城下町としてよりいっそう発展を見せたのが、天満のあたりです。当時は、天下の台所という名にふさわしいように、各藩が蔵屋敷(今でいえば在庫用の倉庫)をつくり、大坂で商品等の販売を展開。

時の経過とともにさらに発展し、豪商も現れるようになります。鴻池家等ですね。その家々は最初は自らの家系を守ろうと、子弟の教育を行なうようになり、それがやがては私塾となっていきます。それが、最後は、幕府を動かす人材の育成にもなるのですから、まるでヨーロッパ中世のメディチ家やハプスブルグ家のように、商売で設けた経済力を背景に、王族支配までも行なったその様子を思わせますね。歴史は世界を視野に共時的に見ると、今のようにネットで瞬時に情報が共有できるわけでもないのに、場所は全然違っても人間、やることは似ているのがおもしろいですね。


−そんな私塾の1つが適塾(適々斎塾)ですね[正面玄関の写真(このすぐ前は“京阪電鉄・淀屋橋駅!”今昔混合の不思議な感じです)]。


−その設立者が、医家であった緒方洪庵ですね。


−裏庭は、小さな公園のように整備されています。後ろには、現代的なビルが見えますが、この公園に座って周りを眺めていると、時代を錯覚したような気になります。−


この適塾からは、後に日本社会に大きな影響を与えるような人物が輩出されています。慶応義塾を開校した福沢諭吉からはじまり、漫画家・手塚治虫の曽祖父・手塚良庵も塾生として通っていました。

この地は、少し東へ行くと市役所、西へ行くと府庁(後ろは大阪城)があり、銀行や証券会社が林立するビジネスの中心街。江戸時代後半は両替商や呉服店(今デパートになったものもある)でした。緒方洪庵先生は、あの世で、この地をどういう思いで見ているのでしょうか...。

当時の教育は、学問のための学問ではなく、実務を担える人材の育成が主だったようです。今で言う専門学校といった感じですね。
何か時空を超えて、人間の後生まで続こうとする心意気と今日荒廃が叫ばれている教育について、ふと考えてみた日でした。


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英連邦
2008-06-05 Thu 23:37
イギリスは昔、世界各国に植民値があり、王が支配していました。

現在、オーストラリア、シンガポール、キプロス等、各国は独立国となり、主権国家となっても、王(今はエリザベス女王)を認めているといいます。

日本の天皇制とは違う関係があるようです。まさしく文化的なものなのでしょうか…。
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茶臼山探訪…
2008-05-04 Sun 21:28
休日の今日は、天王寺公園に行きました。

  ここは美術館、史跡、公園がまとまった憩いの場でした。
ゆっくり歩いていると、公園として整備されているものの、古代、近世および現代の歴史と時間が融和した空間であることが感じ取れました。

日本橋を歩きながら、動物園前から公園に入りましたが、入り口を入るとすぐに、大阪市立美術館があり、聖徳太子展をやっていたので、早速入館し、古代の歴史と仏教美術を堪能しました。この地は、飛鳥時代に聖徳太子が四天王寺(この公園の北東すぐに位置します)を建立したその史跡を感じる場所です。5、6世紀にはこの地ですでに政治が行なわれ、外国との交易があり、経済が動いていたかと思うと、すごいなぁと感じます。

しかも、そのさらに前、大隅宮を築いたとされる応神天皇の時期あたりでしょうか、豪族(当時の大王(おおきみ))の墓と推測される前方後円墳が茶臼山にありました。本当に政治の中心があったのだと感じましたね^^



その守り神ともいうべき寺院(聖徳太子は仏教の普及に努めた)も近くにあり、政治と宗教がうまく調和した時代だったのが実感できます。
また、時代が進み、戦国時代。ここ茶臼山は大阪冬の陣、夏の陣の舞台ともなっています。冬の陣では徳川家康が布陣を取っていますね。







そして明治に入り、庭園“慶沢園”が整備されています。全国各地から選りすぐりの樹木を使って造園した林泉式の日本庭園で、見た目が実に美しいです^^





その憩いの場に、“歴史主義”的な建築とともに、美術館が建てられ、古代−中世−現代を結ぶ悠久の空間という感じで、本当に落ち着きましたね。




日本の歴史の縮図を感じられた一日でした^^


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散策−日本の中世
2008-03-16 Sun 19:57
菅原道真公に縁の“八条ヶ池”に行ってきましたo^^

貞観時代の天皇・宇多天皇のとき右大臣にまでなった道真公は政権が代わり、太宰府に左遷。名残惜しき京の都を去るときに寄ったとされる長岡天満宮。その東にある、八条宮が作った池です。梅が最後咲きでした。










大阪は、神武天皇から古代にいたるまで、飛鳥、平城京時代の礎となるような都の建造が行なわれました。その一つが応神天皇が都を置いたとされる“大隈宮”です。
大隈宮の所在は天王寺の付近である、または大阪市内(東淀川区)であるという研究結果もありますが、その実はいまだに不明です。

このような都建造期を経て、畿内(現代でいう近畿圏)を転々として、平安京に落ち着くのですが、その間、天皇の都合や他国との関係、歴史的事変などが影響して、遷都が繰り返されています。

その中間点となるのが、山崎あたりで、その山崎は昔、津(現代でいう港)であり、そこから長岡京の遷都が浮かび上がってきます。

この山崎に橋を架けて、布教を行なったという“行基”−近畿内に多数建設した人ですね^^ 昔は、一つのことだけではなく、ルネッサンス期のダビンチにも代表されるように多彩な方が多かったのですね。

八条ヶ池は、その長岡京の地に、おそらく平安遷都後に、長岡天神に隣接して、敷地内に貴族が作った池とされます。それだけに、現代にいたっても、百花騒乱、各季節に梅、花、つつじときれいに咲き誇っています。ほんとうに癒されます。

仕事の疲れを癒す、私の好きな場所の1つでもあります^^





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