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動詞中心は全言語に共通?
2008-08-20 Wed 22:14
人はいざというときには動詞を発しますね。最近、これは何語でも変わらないような気がします。

日本語でも、次のように言うことがあります−。「知ってますか?あの噂を」

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現代法律文−翻訳の苦労…
2008-08-18 Mon 22:39
ビジネス取引において、契約書はつき物ですが、アメリカ(北米)の契約書は本当に細部まで、事細かく規定していますよね。

 本来、アメリカはイギリスのコモンローの系統で、具体例を細かく挙げ、関連する法令との比較で、合理的に構成されています。一方、大陸法といわれる、ローマ大法典から引き継がれている法体系をもつもの(ビザンツ(東ローマ)帝国で体系化されたといわれ、なんと1500年以上の歴史!)は、法規定が中心で枠組みが規定されています。

 ふだん、英米法にのっとった英語の法律文に触れると分かりますが、修飾語句が多く、どこに修飾しているのか、何を形容しているのかを順序立て、具体例を追っていかないと理解は不能になります。文法、統語的には、形容詞の限定法、叙述法、関係詞や分詞その他可能なかぎりの修飾法をフル活用して、一文が構成されています。それをもともと合理性を表現するのに適しているとはいえない日本語で表現(翻訳)すると、何を書いてあるのかが分からなくなってしまいます。日本語には連鎖接続といい、文脈やニュアンスを同類項として、文同士が意味上、つながっているところがあります。これは英語への変換は不可能です。

 中心となる語句は何か、全体のパラグラフで何を言おうとしているのかをイメージとしてつかみ、細部の修飾関係を処理していくことになりますが、この翻訳はその分野を専門とする翻訳者でもかなりたいへんです。現代は、翻訳もスピード化し、Trados等を使って、迅速かつ安定品質が求められますが、法律関連は、構文分析がたいへんで、いちばん苦労する分野ですね。専門の翻訳者も、一仕事終わったら、頭脳疲弊するそうです^^ 

 私も最終チェックすることがありますが、その気持ちは分かります。
慣例なので崩しにくいですが、すべてを一文、一パラグラフで表現するのではなく、短文で簡潔にできるようになっていくとよいですね。すべてを網羅し、抜け穴をなくそうとして、修飾語句、修飾語句を何重にもしている気持ちは分かりますが^^;

 グローバル化の時代、ますます国際的にビジネス取引や企業同士のつながりが増えていくでしょう。簡潔かつ分かりやすい、しかも問題を起こすことのない文章表現で法律文ができるようになるとよいですね。
 
“国際法の父”といわれるグロティウス(中世オランダ)

 中世は、オランダやベルギーは、商業都市として栄え、ヨーロッパから世界に向けて、貿易や商取引が盛んに行なわれ、法整備もそれに伴って行なわれていきました。大学時代にネーデルランド文化概論という講義を受講しましたが、その繁栄振りはすばらしかったようです。その時代、日本は江戸時代の鎖国政策中でしたが、唯一開かれたオランダやポルトガルから“蘭学”という形で西欧の文化や知識が入ってきました。その結果、法律も少しずつ、朝廷による勅令形式から市民中心へと変わっていきます。実は律令制度は中国(中国では秦の始皇帝以来、隋、唐およびそれ以降)発で(正式には「律・令・格・式」−格・式は現代で言う手続き法のようなもの)、皇帝によるトップダウン形式の法律統治で、市民法なるものは皆無だったようです。

 そのころの法律文は、言い回しは複雑だったものの、大陸式だったため、文構造は分かりやすかったようです。明治以降、近代法として英米法と大陸法がミックスされ、より分かりにくくなったような気がします。

 翻訳が分野ごとに分類され、より専門化している現代、法律翻訳も一つの分野ですが、契約は企業同士の重要な取引の窓口となる一方で、円滑な取引やコミュニケーションの妨げにならないように、構造的見直しが必要な時代なのかもしれません^^


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古典文法とことばの変化
2008-08-15 Fri 22:48
古文を読むと、昔の日本語のほうが表現や感受性が豊かであったような気がします。

文法でも、ややこしいようで、感情の変化が分かりますね。

明治維新以降のモダ二ゼーションの影響もあるでしょうが、環境の変化からか、ことば自体が合理化されてきているような気がします。

 たとえば、係り結びという文法がありました。

 係助詞「ぞ、なむ、や、か」のときは、「連体形」と、「こそ」のときは「已然形」と呼応するというものでしたか...。膠着言語である日本語にある屈折言語のような特徴ですね。現代でも、「こそ」という副詞は使いますが、強調的な意味が主流となり、微妙にニュアンスが変化していますね。平安期等では、唄を使ってコミュニケーションを図ったようですが、そのためにこころの微妙な動きを表す文法、表現や枕詞等が発達したのでしょうか。


 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。」
いわずと知れた『平家物語』の冒頭部分ですが、現代的にいえば、隠喩や暗喩を使い、気持ちと社会環境をうまくいっていますね。私は年間読書量がかなり多い割には、小説自体に興味がないため、現代小説はほとんど読まないので分かりませんが、現代の文章を見ていると、本当に“合理性”の追及を第一にしているような感じですね。時代の変化スピードが速いので、回りくどい表現が、欧米文化の流入、融合によって、自然消滅していったのでしょうか^^確かに今、平安朝のような話し方や唄で意思疎通をされても、いらいらするだけかもしれませんね^^; 時間のあるときに、ゆっくり鑑賞するから、古典はよいと感じるものの、実生活では相容れない表現形式になったのかもしれません。

 「幾山川 越え去りゆかば、寂しさの 果てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」−若山牧水の歌ですが、何か情感と旅情、寂寥感が伝わりますね。牧水は明治の歌人ですが、この辺までは、そんな風土が色濃く残っていたのかもしれません。やはり明治維新ですかね...ターニングポイントは。

 日本に来る外国の人々が、Pathosを感じるとする方が多いですが、欧米から見れば、まだそのような情緒的な社会背景、表現が残っているのかもしれません。ゆで蛙現象ではありませんが、渦中にいると気づきにくいですから...。

グローバル化の波が日本にも押し寄せ、その波しぶきに揉まれ、日本語も国際英語のような、誰もが解りやすい構造になってしまうのでしょうか。いろいろな文献を研究したり、翻訳者の大先輩の話しを聞いたりすると、明治の文明開花の動き以降に洋書の翻訳が盛んに行われる前は、「彼」とか、「これは…です」みたいな指示代名詞や文構造はなかったようです。今はなんの違和感もなく、みんな使ってますが…。

独自性が失われない程度に合理化していくとよいですね。


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単語の意味範囲
2008-08-13 Wed 23:55
英語と日本語で一見、同じ意味になっているようでも、微妙に指し示す範疇が異なるものがあります。
英語を母国語とする外国人と話していると、ハッと気づくことがあります。

  study とlearn−これらは日本語ではどちらも「学習」となります。しかし、ニュアンスとしては、日本語に訳した場合の「勉強」は、両単語に含まれています。studyには「(努めて)探求する」という意味合いが、learnには「知る」という意味合いが含まれます。

      study learn
     研究 勉強 知る

 このようなことから、単語帳で覚えたような一単語=一つの意味という捉え方をすると、微妙にコミュニケーションギャップが生じてきます。

 A. I am studying English
 B. I am learning English.

 Aは、英語を研究している途中、Bは身につけようとしているところを表します。日本人には難しいかもしれませんが、このような意味の違いから、learn from study(研究して知る)という組み合わせが可能なのです。2つとも「学習」「勉強」と覚えていると、どうにもならなくなり、最終的に英語がいやになるでしょう^^;

 言語は環境が大切な理由はここにあると思います。ただしい環境で使われる例文をたくさん覚えて使いこなせば、ネイティブに近いニュアンスを実につけることができるでしょう。よく多読といいますが、その狙いはここにあります。ただ闇雲に読めばよいというのではないですね。

 名詞では、「牛」について、英語では次のように分けて考えています。

 cow、 ox、 cattle−いわずと知れた「牝牛」「牡牛」「(集合的な)牛」ですね。日本語では、「牛」という単語以外に、牝牛などを表す独立した単語がありません。捉え方の違い、認知の違いです。英語を覚えるとき、語源ストーリーなども織りまぜて、総合的に学ぶと結構楽しく身につけると思いますね。機械的に“詰め込み勉強”するから、いやになるんですよね^^


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コミュニケーションとサイレンス−ことばの標識
2008-08-11 Mon 22:02
コミュニケーションにはことば以外に、非言語が果たす役割があります。サイレンスはまた大きな役割を果たしますね。

人と会話をしていると、「黙っている」時間があります。返事に困っている、答えが見つからない、無視している、内容に興味がない、など、表情でいろいろな解釈ができますね。

 文字だけを追っていたのでは分からない表現の一面が表情です。昨今、メールや電話等通信手段が発達している中にあっても、やはり会って話さないと分からない部分、伝わらない部分ってありますね。

 人と人とのコミュニケーションは、本当にさまざまな要素が絡み合って成り立っていることが分かります。昔から沈黙や静かさで何かを表現しようとした芸術家さえいます。
音楽では、休符だけを楽譜に書き連ね、それを実際演奏した作曲家もいますね。また、クラシック音楽では、静謐感と躍動感を調和させて、流れや感情を表現しようとしています。たとえば、ハイドンは交響曲第94番ト長調『驚愕』について、しばらく演奏してからいきなり大きな音を出すから、標題が“驚愕”だといいます。この交響曲を実際、CDやDVDで聞くと、いろいろな音が錯綜する現代ではそんなに大きな音には聞こえません。時代の流れか、静かささえ、基準が変わったのかもしれません。


 このように考えると、「静かさ」がコミュニケーションの裏の主役とさえいえるのかもしれません。専門的な話しになりますが、実際、言語学(linguistics)で“標識−有標と無標”という理論があり、基準となるのが有標です。たとえば、「大小」関係では、「大きさ」が有標(marked)で、「小ささ」とは言いません。音韻論を含め、音については、「静かさ」が有標であり、無標(unmarked)である「うるささ」とは原則、言いません。「騒がしさ」とはときとき言うことがありますが、「沈黙を破る」という言い方があるように、コミュニケーションやダイアログでは、静かなことが基準になっているのかもしれません。

 人と会話をするときに、沈黙した人をみると、コミュニケーションの深みや面白みが増すかもしれません。語学を学ぶものとしては、日本語と諸外国語の会話や対話中の沈黙(サイレンス)を対比すると、外国語の表現や文化的な違いがよりクローズアップされ、面白いですね^^


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