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歴史解釈いろいろ
2009-11-25 Wed 23:22
諸外国の人と話をする中で、歴史に関する認識を発展的に捉えるか、地域的に捉えるかでかなり見方が違うのに気付きます。

 ここ数日、歴史関連の翻訳や言語学関連の仕事をする中で、すべてではなく一般的ですが、特に歴史学者などではない場合、アジアの地域は文化発展的なつながりではなく、どちらかといえば、部族が一つの集落を作ってきた、そしてその結果、国へと発展していったような見方のようです。

 実は、歴史の発展は、地域を問わず、神話の内容をみても分かるように、だいたいは地域とその周辺国とのつながりから、血縁関係が拡大してその地域が生まれています。この点、欧米もアジアも変わらないようです。

 もちろん、地域の気候や地理的な特徴から、文化の違いは出ますが、人間の行うこと−闘争と略奪、戦争と平和−というサイクルは不変のようですね。

 どうしても、先に社会、国家を形成したという歴史的な記録が多数残っている欧米は、その点でアジアを意識はしていなくても、レベルが違うとみているようです。順守差別がないとは一般的にいわれている欧米でも、実は結構あるのに気付きます。

 明言はしなくても、やはりアジア人に対する目と同じ欧米人に対する目とは違いますね。

 このような違いを草の根レベルから変えていくことが、グローバルコミュニケーションの意義だと思います。翻訳もその一役を担っているのではないかと、このような機会があるごとに思います^^




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翻訳内容の分類
2009-11-24 Tue 23:05
翻訳をする場合、言語ペア(何語から何語)だけではなく、どの分野の内容を翻訳するかを確認することが重要です。

 技術翻訳という場合、マニュアルや指示書、仕様書などがあります。また、パンフレットや広告文などがあります。内容としては、機械、電子、エレクトロニクス、マーケティングなどさまざまです。しかし、ここで結構注意が必要な分野があります。“一般”という分類ですね。

 企業によって、この“一般”の範囲がすごく広い場合があります。一般というので、ビジネスレターが挨拶文や案内状、商業取引のL/Cなどくらいかと思うと、ときどき、アート関連などを送ってくることがあります。

 ときどき、内容は“一般”で受注したと聞いて、実際ファイルを見て、驚かされることがあります。
 アートの展示会の案内なら、まだしも、完全に芸術関連の論述文章であったりします。自社のコアフィールド以外は一般と分類しているのかもしれませんね。

 “一般”で受けるイメージというのは、これほど違うということが分かります。美術や音楽関連の翻訳は結構入ってきます。スタッフの翻訳者が四苦八苦しているので、結局、芸術面の趣味を持っている私が担当することがありますが、これは企業との付き合い具合が問われますね。

 こちらから対応範囲を示していても、”一般”は簡単だから、できるだろう、みたいな感覚で依頼されるようです。この探りようのない依頼−なかなか対応が難しいですね。発注側の担当者が必ずしも、翻訳業界の状況を知っているわけではないので、余計大変です。

 慎重な受注姿勢が必要ですね^^ 世界には、どんなに研究が進んでも、分類のしようのない生物や物体があります。論理的に整理された自然科学の分野でもそうですので、人の感性が頼りの人文科学はなおさらですね。生物の個体でも、その分類は難しいといいます。宇宙では発見されていること自体が希少なので、物事の分類はなかなか大変なようです。この翻訳対応分野も、会社によって違いますので、世界標準ではありませんが、どこかで統一規格みたいなものが必要なのかもしれません。



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連動文ー中国の文化?
2009-11-22 Sun 21:12
中国語に連動文という統語構造があります。

 中国人の話を聞いていると、頻繁に使われているのは、連動文や兼語文であることに気付きます。連動文とは、動詞を並べて使うような構造をもつ表現法です。

 英語いえば、原形不定詞ということになりますが、中国語では、to 不定詞の形容詞的用法のように使われていることに気付きます。中国人が話す速度が速いこと、話す量が多いことは、前からどんどん表現していくことに起因しているようにも思えます。

 文化性でしょうが、言いたいことを先に伝えようとする文化なのかもしれません。それが言語構造からもうかがえます。たとえば、「スーパーに買い物に行く」という場合、「スーパーに行く」「買い物をする」と、並びます。英語では、不定詞が加えられますし、日本語とは順序が逆です。この点、英語に近い構造なのかと思いますが、また違うようです。英語なら、不定詞が入り、「〜することを目的とする」という方向性を示しますが、中国語では動作が並列的に記載されているだけです。

 英語などの屈折言語とは違い、この点は日本語のように膠着言語なので、並列しているしかないのかもしれませんが、日本人にも、英語を母語とする人にも理解しにくい構造です。日本人はどうしても、被覆的構造で、修飾する語が修飾される語の前にきて、中心語が最後にきます。情報の原理からすると、日本語の構造は最後のメッセージがいちばん記憶に残ることから、名詞中心であることがわかります。

 中国語は、介詞構造でもわかるように、介詞+目的語+動詞(“把”構文など)動詞を中心に構成されています。その証拠に、否定語などは介詞の前に置かれ、動詞の直前には置かれません。

 個人を中心とする文化がこの言語構造にも感じられます。日本語と対比すると、よく分かります。これが比較言語学などという一つの学問分野になるくらいなので、文化を学ぶ大きなスコープであることが分かります。

 中国語を話すたびに、その中国人の発想に気付きますね。中華思想により、中心から周辺に何かを発信するという文化特性が言語に表れているのだなぁ、と会議のたびにつくづく感じます^^




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ボルゲーゼ美術館展−京都近代美術館
2009-11-21 Sat 21:05
京都での会議など仕事がしばらく続くので、夕方の空いた時間に、散策に出かけました。

 京都近代美術館で、ボルゲーゼ美術館展をやっているので、気になっていたので、見に行ってきました。平安神宮付近に京都市美術館がありますが、その対面にこの京都国立近代美術館があります。さすがに11月も中旬をすぎ、東山は紅葉がきれいなりはじめていました。

 ボルゲーゼ美術館はローマにある美術館で、ルネッサンス期やバロック期の作品を所蔵している美術館です。昔ローマに行ったときにボルゲーゼ公園は見てますが、美術館は行ってませんでした…。今回その美術館の作品が来ているということで、西洋美術好きが抑えられず、行ってきました。ルネッサンス期ということで、カルバッジョ、コレッジョなど、その後の美術史を大きく変えた巨匠の作品が見られると思い、ワクワクして入りました。

ファサードからの撮影

 京都国立近代美術館のエントランスは近現代的な構造建築で、向かいの明治期のような建築の京都市美術館とはまたちょっと違った趣があります。もしかしたら、20世紀初頭の建築に大きな影響を及ぼしたル・コルビュジェを意識したデザインかな、と一瞬思いましたが、ちょっと違うようです。

 特別展のフロアに入ると、さっそく、ルネッサンスを思わせるような絵画がずらっと並んでいました。カラッチからはじまり、カルバッジョは光と影の技法のはじまりとなることで知られ、その後、『夜景』(実は夜ではなかった^^)で知られるレンブラントも彼なしでは生まれてはいないのです。その絵画をいくつか見ていると、本当にそこに魂が入っているような雰囲気となります。

 写真がない時代は、絵画は最終的に写実主義へと向かうように、写真に近づくような手法がとられていました。後に、内面を描いたりする手法が生まれ、印象派やキュビズム、フォービズム、表徴主義へとつながりますが、その意気込みが一枚一枚に感じられます。

 ルネッサンスでは、イタリアからはじまり、ドイツそして北方へと広まっていきますが、その都度地域性が加味されていったようです。今回のこの展覧会では、そのプロトタイプともいえるような諸作品を目にすることができました。十字架を持つキリストの画など、宗教画は本当に臨場感があり、その絵画が当時の教会では、識字率の低さから、聖書や天の啓示のメッセンジャーの役割を果たしていたこともあり、何か伝えようとする心が伝わってきます。

 50点ほどを1時間かけて、じっくり鑑賞し、同時に京都近代美術館の所蔵も公開されていましたので、見てきました。日本の美術館は所蔵コレクションというより、展示場として発展してきたこともあり、その所蔵はまだ十分充実しているとはいえません。しかし、近年、各美術館ではコレクションに力を入れ、一時期、印象派の作品ばかりを買いあさった時代のように、全美術館で画一的なコレクションではなく、独自の路線を確立しようとしているようです。

 この美術館では、日本でいえば明治期からはじまったヨーロッパのアール・ヌーボー、そして古典主義への回帰を離れ、特に路線を作り上げた陶芸の世界を見ることができました。民芸(庶民的工芸)の中心となった河井寛次郎や富本憲吉の作品が数多く展示されていました。やはり実物はすごいですね−写真集とは違いますね。日本画家・東山魁夷もそうですが、自然との調和を唱えた陶芸家で、イギリスでの滞在経験もある宗教哲学者・柳宗悦の民芸論を実践したことで有名です−マリネッティの宣言を実践した未来派画家を思い出します。さて、このコレクションで、新たな出会いがありました! 村上華岳の作品群です。山水画や牡丹画は日本屈指の作品だったそうで、現代日本の作品にはあまり詳しくないせいか、あまり聞いたことがなかったのが恥ずかしいほど有名な画家でした^^ その作品は、本当に心にしみるというか、自然との調和がテーマではないにしても、そう感じる作品です。また、ファンになりそうです^^

 他にモンドリアンの『コンポジション』が数点あり、画集で見るのとは違い、この抽象画も何か少し意味が分かったような気まします。ピカソとエルンストも数点ありましたね。ピカソのキュビズムは、最近少しずつ分かるような気がしていました−キュビズムには分析的と総合的とがありますが、その分類も作品を見ている中で少しずつ感じられるようになっています。

 過去の作品で注意が必要なのは、解説書や理論書が多数出版されていることです。ともすれば、自分の感性ではなく、その人たちの評論の目を通してみてしまいます。絵画はやはり感性で見るものだと思いますので、現代アート、アースワーク、インスタレーションなどは、先入観なく見れるので、本当にその作品との対話によって自己解釈ができるのかもしれませんね。

 現代アートが分からないなどという一般の意見は、理屈でみようとするからなのかもしれません。肌で感じる、空気を感じるアート。それが本来の芸術の見方なのかなとも最近思います。

 ルネッサンスの作品の醸し出す独特のムードは、その思いを強くしてくれました。美術館を出たら、周りがすっかり紅葉というのも、なかなかその気分を高揚させてくれる自然の演出でした。






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ボージョレ・ヌーボー
2009-11-20 Fri 23:07
ボージョレ・ヌーボーが昨日解禁になりました。

 時差の関係上、日本がいちばん早いのですが、ふだんワインに親しみのない人たちも、なぜかこの日だけはワインに群がります。ボージョレ・ヌーボー、つまり、フランス語で新しいボージョレですが、その年にできたボージョレワインのことですね。

 今年の味は、飲みやすいなどというニュースが毎年流れます。ビンテージなどがおいしいといわれることのあるワインで、新鮮なもののできをいうのはよくわかりません。ワインは詳しくはわかりませんが、その味が好きで飲んでいますが、このようにボージョレ・ヌーボーをひときわ騒ぐのは、実は日本人くらいです。

 フランス人でも、そんなにさわがないようです。本当に不思議な国民性と思われても、納得がいきますね。自国の生産物に自信をもっている国民や国は多数ありますが、他国の産物をこんなに喜ぶとは、まさしく拝外主義なのか、本当に人の輪を大事にするのか、ただ何もしらないのか、わかりませんが、それが日本国民性といわれれば、それが日本の自慢かもしれません。

 ここ数年、県知事を中心に、地元を売り出すムードが日本に出始めています−幕藩体制の江戸時代には実は普通だった−が、この自国自慢は海外受けがよういようです。日本ではそうでもないのですが、それが日本の国民性を大きく変更し、西欧っぽくなるのは、どうかとも感じていますが、その点、このボージョレ・ヌーボー賑わいは、逆にほっとする気さえあります^^

 この日本の国民性は、どうも理解しにくいらしく、ネイティブによって英語で書かれた日本紹介の書籍では、日本独自とか、不思議性などいう紹介が目につきます。それゆえに、日本にくる諸外国の観光客が多いのも事実ですし、住み着いて日本人以上に、日本文化を気に入り、研究者となり、テレビに出ている教授やタレントがいますね。

 不思議の国−日本。技術立国として、こんなに機械文明となった今でも、文化の独自性は残っていくのでしょうね。いやそれだけは崩してはいけないと思います^^



 
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