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2009-07-04 Sat 05:55
今日は眩しすぎて、起きてしまいました。雨で起こされたり、眩しすぎて興されたり、梅雨時期ですね。でも、エアコンの必要性を感じる暑さの日が少ないような気がします...オーストラリアの気象庁がエルニーニョの発生可能性がかなり高まったことを伝えています。冷夏に期待です^^
さて、先日から参加していた国際会議を終えて、改めて感じるのは、英語や欧米の言語を母語とする人たちは、日本的にいう、いわゆる本音と建前があまりないということですね。 感じたことはそのままことばにします。そのため、感情を結構そのまま表に出すため、全般的に明るいと感じますね。日本人の場合、だいたいが対人関係を考えて、人がどう感じるかを考えて発話します。英語ではそのような配慮ができにくい言語なので、やはりそのようなことがなうい文化から生まれたものだと感じますね。 いちばん感じるのは、「質問」するときですね。日本人は、こんなことを聞いたら、回りがどう思うだろうとどうしても考えてしまいます。英語を母語とする人たちはまず、そういうことはないようです。「えっ!?」という質問が出てきます。日本は恥の文化とも言われますが、それさえ感性が違うのかもしれませんね。 日本人が英語が苦手なのは、英語も日本的な“発想”で考えるからなのかもしれません。改めてそう感じたのは、私自身、英語で話すと、何か日本語で話すときと感覚が違います。中国語で話すときも、さらにそれら2つの場合とも違います。やはり長年、外国語と付き合っていると、そこに備わる感性も自然と感じ取っているのかもしれません。 英語はダイレクトな文法形式なため、助動詞などを遣った丁寧表現などもありますが、それは対人関係というよりは、自己主張の延長ですので、やはり日本の謙譲語や尊敬語、丁寧語とはことなります。その文法形式に乗っ取って話していると、その感性が身に付くのだなと思います。日本語と英語を対比しながら英語を学習しているうちは、この感覚にはなれないと思います。英語を英語だけで読み、書く習慣をつけることtで、自然と分かってきます。国際会議では主に英語しか通用しないため、そのようなことが余計に感じられます。 インターネット環境がさらに発達していますし、世界の境界線がだんだんなくなってきています。もっと英語的な発想に基づく英語学習が必要かもしれないですね^^ |
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2009-07-03 Fri 21:53
日本語の指示詞は英語と微妙に違い、表現の難しさを感じることが多いですね。
たとえば、指示代名詞「これ」、「それ」と「あれ」について、日本語と英語とを見てみると、 これ それ あれ this that 英語の指示詞の指示範囲と日本語とで、この「これ・それ・あれ」がいちばん分かりにくいかもしれません。このように、日本語で「それ」というときと、「あれ」というとき、英語では両方ともthatになってしまいます。逆の場合、thatといわれても、日本語では「それ」と訳すときと、「あれ」と訳すときとがあるということですね。 thisは、前の文の内容や語句の意味を指示したりすることもあります。thatは、関係詞として文と文、語句と文をつなく役割があります。ただ、それ以外で、一般的に個別の単語を指示する場合、また空間の物質などを指示する場合は、日本語と英語とでは、感覚がずれることになります。 つまり、「これ」の表す空間範囲、「それ」の表す空間範囲および「あれ」の表す空間範囲は、thisやthatの表す空間範囲と異なります。日本語で「それを見てください」というとき、Look at that.となることもあり、Look at thisとなることもあります。 ここは、訳者の日本語感覚で訳し分けるしかないですね。日本語で「それ」が指示する空間部分は、英語のネイティブには性格に区切りとして認識されていないということですね。 よく、「それ」を英語のitだけに置き換える方がいます。しかし、itはそのような意味ではなく、空間にある物質を指示する場合はほとんどありません。文中や談話内の語句や意味を指示するのが通例です。itに関しては、また別に日本人にはない感覚があり、さらに難しいですね。It rains.などで、なぜ、Iitとなるのか...ですね。自然を表す、などと言われますが...結構、謎です。中国語では、例えば、“下雨”(xia yu)と書き、itのような用法はありませんね。ドイツ語でもesという語があり、英語のitに似た用法ですね。欧米に共通の感覚のようです。ネイティブに聞いてもよく分からないのが現状です。日本語の用法すべてを日本人が説明できるわけではない、そんなことと同じですね。 ということで、機械翻訳などがかなり開発されてきていても、人間が介在する必要性がいまだ消えないのは、このような言語に伴う感性があるからかもshりえませんね。AIの開発がいまだ行なわれていますし、産業ロボットだけではなく、人間型ロボットが登場していますが、まだまだAIは不十分ンおようです。 最近、人間の脳についての書籍が増えていますが、いまだに未解明な部分が多いということです。言語運用感覚、言語習得感覚は解明されているようで、されていません。単語すべてが自然と対照されえないものですし、名前が先が、言語が先かなど普遍論争が中世にありましたが、今でも未解決ですね。 人類がある以上、解決できない問題かもしれませんね。 外国人と会うたびに、思います^^ |
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2009-07-01 Wed 04:45
今日から7月。
朝の豪雨の音に目が覚めてしまいました...湿気の多さも手伝って、寝つきが悪かったのかもしれないですね。もう7月になってしまいました。 7月と聞くと、イメージは夏ですね。 京都では今日から祇園祭がスタートで、15〜17日にはピークを向かえ、山鉾巡行で表向きは終了です。その後、月末まで祭は続きますが、もとは疫病を追い払う目的ではじめた祭ですね。室町でしたか...記憶はさだかではありませんが、それが今や日本でも広く知れ渡っています。 今年は気象庁からエルニーニョ現象の発生可能性が発表され、場合によっては冷夏になることもありうると思います。過去の例からすると、エルニーニョ現象の発生した年は夏は比較的涼しいといいます。 沖縄では梅雨が明け、ここ関西では、梅雨の後半を向かえ、ほぼ毎日、土砂降りです。今年はまだゲリラ暴雨と呼べるものが、一度くらいしか経験していないですが、夏は涼しいほうがよいですね。 そんなはっきりしない天気の中、国際会議に出かけるのですが、またいろいろな国や地域の人々との話題が天気になると、インドやアフリカの人はいうでしょう...「涼しいね」と^^ 人間の感じ方というのは本当に環境次第なんですね。 |
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2009-06-30 Tue 22:24
今日で6月が終わりですね。
今はあまり使われませんが、6月は水無月です。文字通りに読むと、水がないようで、だいたい日本では梅雨時期ですね。 もともと、月の呼び方は古典から来ています。古典文書が書かれた時代は、大陰暦だったので、感覚が異なりますね。6月はちょうど夏ごろにあたりますね。その習慣が消えても、ことばだけが残っているのが不思議です。また詩の世界でも、1、2、3月が春、4、5、6月が夏、7、8、9月が秋、そして、10、11、12月が冬ですね。中学校、高校のときはそんな結びつけができず、今頃理解できるようになるとは、不思議です。 千昌夫の『北国の春』ではありませんが、都市部ではどうも季節や自然を感じにくいですね。毛馬堤に行って以来、昔買った与謝野晶子、若山牧水、松尾芭蕉などの俳句、詩集を電車の中で読んでいます。季語というのがありますが、うまく作ったものですね。 貴族の遊び−連歌から来た日本の俳句ですが、季節を読んだ歌が結構あります。日本人は自然を音に表すのが得意だといわれます。自然や虫の声は右脳処理するそうです。イメージ処理の脳ですね。西欧人は虫の泣き声は左脳で処理するため、noiseと捉えるということですが、ネイティブに聞くと賛否両論でしたね。 芭蕉にしても、一茶や蕪村にしても、当時は大阪や京都でも俳句を詠んでいます。当時は自然豊かな場所で、今は証券会社や銀行の棲家となっている大阪・船場も、そんな風情があったようですね。梅田は“埋田”で、あんなビルが建てられる場所ではなかったというのが古地図を見れば分かります。 時代の移り変わりとともに、大阪では商業が強調され、自然との共生が弱くなってしまったんですね。今、大阪市が緑化に取り組んでいるようですが...シンガポールのような小さな都市では緑化によって、自然とも共生がうまくっているようですが、どうなりますか...。 |
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2009-06-29 Mon 22:05
日米は同盟関係にありますが、互いの考え方が違うようですね。
アメリカは現在、国内の経済問題でたいへんです。オバマ大統領が必死に政策を行い、挽回を図っていますが、状況はなかなか難しいようですね。アメリカは日本と同盟関係を結んでいますが、もともとは1854年の日米修好通商条約に端を発し、治外法権を認めるなど、日本にとっては決して公平な権利を有する条約ではありませんでした。 終戦後、その体制もかわり、今は表向きは日米は公平な立場といわれるものの、どうも腹の中は日本は隷属のような雰囲気も政府高官の中にはないではないようですね。まず、本当に互いに頼れる存在として認めるなら、就任後すぐに来るのは日本でもよさそうですが、来たのは国務長官(日本でいえば、外務大臣)ですね。いまだにオバマ大統領は来日していません。北朝鮮の問題にしても、やはり軍事上の戦略がらみという感じがしてなりません。どんなに拉致被害者が訴えても、口ではうまいこといっても、腹の中では行動を起こす気は薄いのかもしれません。本当に思ったら、小泉元首相のように、実行して行くでしょう(水面下の動きもたいへんなのでしょうが)。 やはりアメリカは軍事大国ですね。軍事に力を入れていても恐れられないのは、経済力と政治的なリーダーシップがあるからでしょう。経済がこけても、アメリカの信頼はそんなに大きく崩れません。 ところが、日本では政治自体が脆弱なのか、リーダーがちょっと失敗すると、世界の揶揄のテーマになります。この違いは、何でしょう。外交下手といわれる日本ですが、中曽根元首相や小泉元首相のときはそんなのはほとんどなかったと思います。それを凌駕するようなリーダーシップや政策があったためですね。 終戦後、日本を非軍事化したのはアメリカですが、いまや日本が軍事的な脅威ではなくなったと判断したのか、日本の軍事力増強を望んでいる趣もアメリカ政府高官の中には密かにあるようです^^; 自国のできることはできる、できないことはできないときっぱり宣言できる国にならないと、どんなに選挙をしても、世界での評価や地位は変わらないでしょうね。基本となる日米関係でさえ、日本の意見が通っているんだか、いないんだか。 ラジオでオバマ大統領の演説を聞いて、そんなことを思いました...。 |


